
きたほうこうにんまち
江戸時代、足軽や奉公人が多く住んでいたことに由来する町名。もとは内町といわれ、武士も住んでいたが、慶安2年(1649)の町割により、北奉公人町と改められた。武士が江の口川対岸の小高坂村西町などへ移住したため、次第に商人と職人の町となった。

ほんちょうすじ
江戸時代は「上町本町」といわれていたが、明治時代に入り「高知街本町」との混同をさけるため、本町(丁)筋と改められた。

すいどおちょう
江戸時代のはじめから、道の中央に用水路が通されていたことに由来する町名。



『高知城下 町名今昔』 参照