「からくり」摩訶不思議なひびきを持つ言葉である。辞書には「あやつる」「しかけ」「
ぜんまい仕掛けであやつる人形」など記述されている。
それは、外から見えないところに工夫された仕掛けがあり、人形や物を動かし、見る人を
驚嘆させる機構になっている。
日本においては、応永年間(1421年)から明治初期にかけ主として「芸能からくり」
「見世物からくり」「時計からくり」として発展してきた。
有名なからくり師として、飯塚伊賀七・平賀源内・田中久重(からくり儀右衛門)・細川
半蔵(からくり半蔵)・大野弁吉・豊田佐吉等がある。田中久重は「東芝」の前身「芝浦製
作所」の創始者であり、豊田佐吉は「トヨタ自動車」の創始者でもある。
諸外国においても、からくり人形の発達がみられる。フランス・イギリス・ドイツ・スイ
スでは、オートマータ(自動人形)として発達し、お隣りの中国においても、指揮車をはじ
めとしてからくり人形を数多く見ることができる。
からくり人形へのあこがれは洋の東西を問わない。
「からくり半蔵」、本名は細川半蔵頼直という。先祖は土佐の守護代細川遠江守頼益公で
ある。その菩提寺は、南国市田村の土佐西国第十四札所細勝寺であり、境内には頼益公の墓
碑もある。
その子孫は長岡郡池の城主として池氏を称し、長宗我部家に仕え、山内氏入国後は浪人し
て土佐郡一宮に住んだ。正保年間長岡郡西野地に移り、旧細川氏に復姓した。半蔵は第五代
細川理太右衛門の長男として、父の死後跡を継ぎ郷士となった。
半蔵は高岡郡葉山村の天文・暦学者片岡直次郎に師事した。従って天文・暦学また技巧に
優れ、天文運行を示す写天儀等を創作し、今で言えば天文学・理学・技術・発明等に長じた
万能科学者・技術者であった。
勉学の志はつのる一方で江戸で学ぶべく、村を出る時−「不一揚名天下、不復過此橋」−
と橋柱に彫り「天下に名を上げずんば、再びこの橋を渡らず」という覚悟で出府し、研鑚を
積んでいる。当時江戸幕府で改暦が進められていて幕府改暦委員に任命された。(寛政6年
1794年)
そして寛政8年(1796年)からくり工学書ともいわれ、世界に誇る「機巧圖彙」首・
上・下三巻を著わした。半蔵のからくりがとみに有名になり、からくりの果たし合いに挑戦さ
れ、半蔵の作った鼠からくりが、相手の作った猫のからくりを食い殺したという逸話もある。
寛政8年(1796年)江戸で没したと伝えられているが、半蔵の才能をねたみ毒殺された
とも言われている。
半蔵の住居は、南国市上末松JR土佐長岡駅の北50米の所にあり、その家屋の一部が長岡
祈年に移されたが、近年いたみがひどくなり解体され、現存していないのは残念だ。