旅の記録
Diary


1999年9月25日から10月1日までの7日間、シルバー高知の
メンバー12名が、カナダ、アメリカ合衆国を旅したときの記録です


9月24日(金) 出発前日

 朝から台風18号が接近し、高知空港発便のすべてが欠航。旅行出発が不可能になる。午後になってやや風が収まるが、まだ各社運行再開の気配がない。近畿日本ツーリストと連絡を取りつつ、何とか出発の機をうかがう。

 午後になって、ノースウエストの24便が午後8時15分にでるという。予定より4時間あまり遅れるが、これに乗れると何とか旅が出来る。そう願っていたが、ノースウエストの方は8時15分以前に飛行機をとばすという事で、6時過ぎの関西空港行きの便で関西空港に出てノースウエスト24便に乗るというもくろみはつぶれた。

 この段階で、旅程の第1日目をキャンセルして、7日の旅程に組み替えて旅をする案が浮上してくる。別に旅程を組み直すとすると、少なくとも3ヶ月はかかるというので、これで行くことも決断する。夕刻になって、関西空港→ロサンゼルス→デトロイト→バッファロというコースの座席が確保され、これで行くことに決定し、参加者の皆さんに連絡をする。

 この日程では結局トロント滞在が一日になる。25日トロント着、26日ナイアガラ見学、同日トロント空港を出発してミネアポリスを経由してバンフに出ることになる。したがって、予定していた温子さんを囲んでのトロントでのバンケット(宴会)は開催が絶望的になる。しかし、ナイアガラには温子さんに同行いただいて、一日の旅を楽しんでいただけたらと考えている。これで何とかオフミーティングの意義は全うされるだろうと考えている。苦渋の選択だが、今のところ、これが最高の選択になるだとうと思う。

6月25(土) 出発

 朝、長男の満穂が空港に送ってくれる。岡山から参加される北村豊子さんをのぞく10名が定刻までに高知空港に元気に集合してくださった。

 関西空港行きのEL-702便も10:05分発の予定が、台風の余波で大阪からの航空機の到着が遅れ、10:55分に高知空港発、11:35分に関西空港着に変更になる。北村さんもここで合流される。

 4Fの国際線出発フロアで荷物を預け、思い思いに昼食をとる。午後2時35分に近畿日本ツーリスト前に集合、出発及びトロントまでの行程の説明を受ける。

 出国の手続きも無事終わり、16:35分発の予定が多少遅れてNW026便が出発する。フライトが始まってすぐに税関と出国の用紙が届けられ、書き終わる頃にドリンクと第1回の機内食が始まる。

 日本時間の7時40分には、機内のライトが消され、おねむの時間に入る。11時過ぎまでは映画をやっているが、ほとんど誰も見ないで眠っている。

 日付変更線を越えて、アメリカ西部時間午前9時半頃、朝食が出る。スクランブルエッグをいただいた人がほとんどだ。

 11時にロサンゼルス空港着。旅客が多くて、入国手続きが暇取る。また、一部の荷物がターンテーブルからおろされていて、発見に手間取る。搭乗の時間15分前になっても3名の方が見えないので、探しに行くと、コネクションのところでトランクを頼みそこなって、下に降りようとしたが断られ、困っておられたとか。すぐにノースウエストのカウンターに出かけて、荷物を頼むことになる。出発前で、荷物が乗ったかどうかしばらく心配だったが、バッファロまで荷物は無事送られていた。今回の旅で最初のアクシデントであった。慣れない国でこういうアクシデントに出くわすと、さぞかし心配されただろうと思う。

 デトロイトのトランジットの間に、赤ちゃんを連れた、アラスカの若い母親がいた。この赤ちゃんが可愛いので、皆さんがもう少し若かった頃に孫を抱いた感触を味わうのか、交代で赤ちゃんを抱いておられた。やがて、写真をみんなでとって、写真を送るからと、若嫁さんの住所を聞いておられた。ちょっとした小さい国際交流であった。

 ロサンゼルスからデトロイトまでは、見かけ7時間のフライトである。それから1時間ほどのフライトでバッファロに着く。デトロイト時間の17:00時にスナックが出る。昼食抜きなので助かる。チキン+パンとバター+飲み物が出る。運動不足なのでそう食べられるものではない。バッファロについてのは午後10時30分、トイレに行ってバスに乗り込む。高速道路を通って国境でパスポートチェックを受ける。この日は全員が降りてパスポートチェックを受けることになる。ホテルに着いたのは午前0時50分。藤本温子さんが飲み物や食べ物を持ってきて下さっていて、ホテルのロビーで待っていて下さった。感激!!

 部屋に入るが、ここでもう一つ問題が起こっていた。ベッドがセミダブルベッドに仮設ベッドが作られていた。当初、3人部屋にするかどうかという時に、仮設ベッドでは眠れないと言う方がいらっしゃったので、二名部屋という事で別途にお金を支払ってあるので、これは違約である。この分については、クレームを付けることにしてとにかくこの夜は休むことになった。

 とにかく、疲労困憊の一日が終わった。藤本さんの暖かさに皆が和んだことで、今日一日が救われたという思いがします。

6月26日(日) ナイアガラ滝

 老人とはいやなもので、あれほど遅く眠りについたのに、朝4時20分過ぎには同室の横山君ともども目が覚める。備え付けのコーヒーを沸かしてのみ、しばらく外国語教育論やネット論に話の花が咲く。

 1時間少々過ぎたところで、横山さんのトロント在住で英語指導助手で来日したヘザーさんと合う算段をされている。

 朝、6時過ぎ、部屋の電話が鳴った。横山さんがハンドセットをとると、ヘザーさんが下のロビーに来ておられると言う。早速下に降りて行かれた。

 午前7時、朝食を下の1Fのレストランでバイキングで行われるが、まだ出来ていなかった。しばらくして準備が出来たが、野菜が全くないバイキング。かなり粗末なものだった。昨夜のベッドの問題といい、今朝の食事といい、このホテルは今回の旅の最低であった。

 8時出発予定のバスが、渋滞で遅れる。来てみるとトイレ付きの大きなバス。11人が乗り込むとマバラ。ガイドの和子さんは今朝は顔色が悪い。顔に発疹が出ているし目は充血している。たぶん、何かの病気だろう。無理をして居るんだと思う。

 彼女は長野県の出身で、2年前からカナダで働いているそうで、両親はしきりに帰ってくるように言うのだが、彼女には帰る意志はなさそうである。
 
 彼女のガイドでオンタリオの州議事堂に向かう。1800年代に立てられた古い建物のようで、トロントの中心部に残る古い建物群のある一帯にある。

 前庭はQueen's Parlと呼ばれていて、美しい花がたくさん植えてある。芝生には野生のリスが人を怖がらずに遊びに降りてきている。そうした建物を後に、トロントの毛皮工場の見学という名目で、日系人が開いている毛皮やさんにくる。何でも、日本の毛皮の価格よりも50%は安いのだそうだ。私もぼろぼろになった財布を買ったが60カナダドルで、4300円ほど、安いのか高いのか分からないが、あまり安いとは感じなかった。

 今日は朝から藤本温子さんが同行なさる。朝早くホテルに来られる。ハイウエイを通り、ナイアガラパークウエイに入り、ナイアガラの滝のすぐ近くでバスを降りる。一番はじめは「霧の乙女号」という滝の観光船に乗船。エレベーターで川端に降り、「霧の乙女号」乗船場に着く。ブルーのビニール合羽をいただいてそれを着る。この日は上天気で、この合羽を着ていると汗ばんでくる程の暖かさであった。私はビデオカメラを持っているので、一階の屋根のあるところに陣取る。水しぶきが来たときには物陰に隠れるつもりである。

 最初にアメリカ滝の前を通る。平面的な滝だが、なかなかの壮観だ。時々風向きでしぶきが船内に押し寄せる。そのたびにカメラを抱えて物陰に逃れる。滝壺に降りるツアーがあって、黄色の合羽を着て、滝壺の近くに作られた木造の階段を上っていく。アメリカ滝のすぐそばだから
なかなか水をかぶるのだろうと思う。

 船がカナダ滝のしぶきのまっただ中に突入していくときは、私はカメラに水滴がかかるのを防ぐために、物陰に隠れることにした。どうせ、しぶきが船内に入ってくるときにはあたりは水滴で真っ白になっていて、何も写らない。だから、これでいい。



 
 霧の乙女号の観光は、20分ほどで終わる。これからエレベーターで上り、上流の滝が落下する地点に観察に行く。どこも人の姿がいっぱいだが、たくさんの水が、滝に落ちていくのは、吸い込まれそうな気がして、ややスリリングである。下流に、上下二本の虹が出ている。この時刻には、いつもこの虹が出ているんだろうか。

 昼食は、スカイロンタワーというナイアガラを上から見ることが出来る塔の上のレストランでバイキングの昼食をいただく。ここの眺めはさすがによい。

 夕刻、3時半頃、トロント空港に向かう。明日のバンフへの移動のためだ。今回の旅行ではほとんど全便をノースウエスト航空会社を使っている。(一部アラスカ航空が入っているが)したがって、カナダの都市からカナダの都市に移る場合は、一度アメリカの都市に飛んで、カナダの都市に行くという、まことに能率の悪いコースになる。今回も、トロント→ミネアポリス→カルガリーというコースを飛ぶことになる。

ミネアポリス発20:50分のノースウエスト1545便が、最初から30分ほど遅れるという表示があった。9時半頃に搭乗が開始されたが、なかなか出発しない。時々機長から説明があるが、我々の貧弱な英語力では聞き取りがたい。最終的に分かったのは、機内の空調の調子が悪く機長が出発をためらっているし、同時に修理も続いているらしいという事であった。結局は「飛ぶのか、飛ばないのか」やきもきする。飛ばない場合は別便でバンフに行くにしても旅程の縮小は避けられない。やっと11時になって機長がフライトを決断して飛び立った。カルガリーに着いたのは翌日の1時30分、バンフのホテル、インズ・オブ・バンフに着いたのは午前3時であった。

6月27日(月)バンフ

 昨夜到着が遅かったため、出発を大幅に遅らせる。朝8時モーニングコール。8時半よりバイキングの朝食、9時半出発。昨夜は夜遅かったのに、今朝は皆さんお元気である。

 バンフの町中を通り、1号線の高速道路をレイクルイーズに向かう。途中、ランドル山の山影を映すバーミリオンレイクのそばを抜け、50キロほどを走ってレイクルイーズにくる。湖は氷河から流れ出た特有の色彩が鮮やかで、その美しい姿に感動する。

 レイクルイーズを出て、ボウ湖とクロウフット氷河でバスを止めて見る。雪をいただいた山々と湖のコントラストが美しい。

ペイトウ湖に寄る。道が凍結していて、歩くのが危険。足を折っては大変なので、道の外側の雪の上を歩くことにする。雪の湖は、とても美しい。

 クロッシングという道の分岐点に、休憩所があり、観光シーズンにはいつも人々でにぎわっている。ここに寄る。おなかが空いたのか、皆さん並んで食べ物を買われていた。前に来たときにはここのそばのガソリンスタンドで、ガソリンを入れた。「次のガソリンスタンドまで50キロ」とか書いてある。カナダでは、ガソリンをこまめに入れていかないと、次のスタンドはどこにあるか分からない。

 ここから、しばらく走ると、コロンビアアイスフィールドセンターに着く。ここで中国人が経営するバイキング昼食を食べる。中華風のバイキングであった。

 アイスフィールドのシャトルバスは2時40分に乗り込む。同行の女性のメンバーの皆さんは、「ドライバーさんはどなたもなかなかの男前」とご満悦のご様子であった。シャトルバスから雪上車に乗り換える。雪上車の運転手は、女性であった。氷河の上を歩けるというので、皆さん胸をわくわくされていたようである。

 アイスフィールドの観光を終えて、一路バンフに戻る。バンフの街の土産物屋により、夕方ホテルに帰る。今夜はアルバート牛のステーキのごちそうで、おなかがいっぱいになる。それでも後で出てきたブルーベリーのアイスクリームは別腹であった。

 今夜は久しぶりにゆっくりと過ごす。


6月28日(火) ラスベガスへ移動

 今朝は早朝に目が覚める。横山さんも目を覚ましていて、テレビなどを見る。8時全員を起こして、8時30分に食事。タクシーを雇ってサルファーマウンテンゴンドラ駅に行く。ゴンドラでサルファー山頂上に行く。頂上にはまだ雪が残っていた。バンフの町並みからは、雪は消えていたのに。

 シーダーの生える林の上をゴンドラがあがるにつれて、下界が広がっていく。1800年代に建てられたというバンフ・スプリングズ・ホテルが眼下に見える。マリリンモンローが出演した映画「帰らざる河」に出たというボウ滝もすぐしたのボウ河にある。箱庭のようなバンフの町並みを見ながら、頂上に着く。

 10時30分、インズ・オブ・バンフ(Inns of Banff)を出る。1時間半程で、カルガリーの空港に着き、アラスカのHorizon(ホライゾン)航空でシアトルに飛び、シアトルからラスベガスに飛ぶ予定である。だが、シアトルに霧が発生したというので出発が大幅に遅れた(30分)。

 シアトルは快晴。バンフからシアトルに至るまでは、飛行機の窓から下を見るとロッキー山脈が雪をいただいているのが見えた。シアトルでは3時間あまりの乗り継ぎの休憩がある。私はD5搭乗口でずっと座り続けたが、夕食は搭乗口のすぐ近くのバーガー屋で食べた。アメリカ国内の空港で通用する食事券をバーガーショップで使うが、お釣りは来ない。何しろ10ドル食べるのは老人にはなかなか困難。でも、皆さんなかなか工夫なさって、10ドル券をお二人で使ったりなかなかお上手に使っておられた。

 このバーガーショップで食べたパンはなかなか堅く、これをかじっていて、下の歯が一本抜けてしまった。なんだか、石のようなものを噛んだなと思って、口から出すと、自分の歯であった。
ああ、いやなこった。

 シアトル発ラスベガス行きの飛行機はアラスカ航空で、小ぎれいな飛行機だった。午後7時41分の定刻発、二時間あまりで定刻ラスベガス着。50才だろうか、女性のガイドさんの出迎えを受ける。

 荷物を受け取ったが、旅行鞄の一つの隅に大きなくぼみが出来ていて、アラスカ航空でクレームを付たので、ホテル到着が遅くなった。翌日、ディナーショーの後、ラスベガスのショーのいくつかを見に行くことにした。

 このラクソールというホテルは、エジプト風の作りのホテルで、カジノもある。有名なホテルらしいが、私にとっては少し豪華すぎて、もったいない気持ちもする。遊ぶにはいいだろうと思うが、カジノで遊ぶわけではなし、ちょっと私には退屈であった。でも、皆さんは結構楽しまれたようで、よしとしなければなりますまい。ベッドに入るとすぐに寝込んだ。

9月29日(水) グランドキャニオン及びディナーショー

 早朝、午前5時45分ホテルのチェックカウンター前に集合、Eagle Cannyon Airlines の迎えの車に乗り込む。とにかく、夜遅くのチェックイン、早朝の出発が続いているので、皆さんの健康が心配で、顔色をうかがっている。やはりお疲れの様子。

  
 ラスベガス郊外のマッカラン空港を午前7時定刻を30分遅れて出発する。まず、緑の紙を渡され、緑のグループになる。19人乗りの飛行機で私たちの他に8人のお客さんが乗っておられる。

 フーバーダムの上空を過ぎたころから、だんだんとキャニオンの片鱗が見られる峡谷の風景が続く。ほとんど植物が生えていない、砂漠のような様相である。このあたりは元海底であったところで、石灰岩の砂で、草が生えないのだそうだ。機内では、英語、ドイツ語、スペイン語に混じって日本語の解説もある。

 グランドキャニオンの近くの空港に着陸する。ここからはバスでグランドキャニオンの展望台巡りに出かけるが、途中国立公園のレンジャーによるバスの検査があるとかで、しばらく時間をとる。小型のリスが観客の捨てたものを拾って食べていた。だが、なぜだか分からないが、すぐに検査は終わったようである。

 昼食はこの近くのホテルのレストランで、バイキングを食べる。帰りは同じコースをラスベガスに帰ってくる。

 帰ってから、自由時間。横になって休息をとる。休憩の間に、中にはラクソールホテル内の日本料理店に出向き、1000円を超える「鮭茶漬け」を食べられたとのこと。そろそろ日本料理が恋しくなってきたのであろうか。

  
 午後、6時からフラミンゴヒルトンというホテルのディナーショーに参加する。到着が少し遅れたが、食前酒の注文があり、みなさんめいめいにお取りになった。メーンディッシュは牛肉のステーキ。味付けがほとんどしていなかったので、塩、胡椒で味付けをしたり、添えられていたわさび入りにソース(酢が入っている変な味であった)を付けたりして食べた。

 ディナーが終わらない内にショーが始まった。私どもの前に千葉の老夫婦が来ていらした。何でもツアー会社の迎えが遅くて、食事が終わらないのにショーが始まり憤慨しておられた。

 ショーは、ラインダンスやスーザンなにがしの歌、奇術などのショーで、楽しいものだった。
  
 ディナーショーが終わって、街に出て二つの無料のショーを見に行った。30ドルを要したのだが、ついでに何でも見てしまおうという事で見ることにしてあった。こちらはさほどでも無かったと私は思っています。

 ラスベガスの観光客は年間1200万人に達するそうだが、そのうちの250万人が日本人だという。どこにでも日本人があふれている。

 率直な感想を言わせていただくなら、私にはラスベガスの人工的な美しさよりは、自然の美しさの方が遙かに私どもに感動を与えたと感じた。

 ホテルに帰り着いたのは、夜の11時30分、明日は5時起きだ。

9月30日〜10月1日 帰国

 朝5時40分にラクスールホテルを出る。ラスベガス空港で、チェックインをするが、ノースウエストのコンピュータがダウンしていて、ラスベガスで関西空港までのチェックインの手続きが出来ない。結局ロサンゼルスで、チェックインの手続きを済ませる。

 関西空港にはほぼ定時に着く。お疲れさんと別れる。