InfoRyomaへようこそ!
InfoRyomaのTOPへもどる

 

コラム

SUNNYVALE からのひとりごと
Vol.19   兎と亀 {1・ 2000年12月

- 1 -

ある育児書に、子供のおかれている状況を不憫だと親が思うのは子供に対して失礼だと書いてあった。子供は親が愁う環境でも懸命に生きているのだから、そのように思うべきではないと。
確かに一理ある。しかし、やはり親の気持ちは、そうはわかっていてもすっぱりと割り切れるものではないように思う。

アメリカに引っ越したとき、上の子は5歳、下の子は1歳8ヶ月だった。
このまま上手くいけばバイリンガルになってくれるだろうという軽い気持ちで私はいた。確かに上の子はすぐにアメリカの環境に馴染むことができ、学校で言葉がわからないからと悔しい思いをしたのもほんの一、二回程度だった。
しかし、学校に上がるまで充分時間があるので環境にも言葉にも慣れてくれるだろうと思っていた下の子は、なかなか環境に馴染めなかったのだ。
下の子は英語に恐ろしいほどの拒否反応を起こした。上の子が覚えたばかりの英語で話すと、まずは両耳を両手で塞ぎ、それでも話すことを上の子が止めなかった場合には、口を叩こうとまでしたのだ。
アメリカ人が作っているプレイグループに入ってみたものの、楽しんでいるのは上の子だけで下の子は一人で遊んでいた。そして、全く笑わなくなった。ほとんど食べなくなった。
日本にいたときは笑い、人から話し掛けられると言葉は返せなくても、首を振ったりお頂戴をしてみせていた下の子の反応は、夫と私以外の人に対してはぴたりと止まった。
そんな下の子を見るたびに、自分は何か間違っているのかと思うようになっていた。

下の子が3歳4ヶ月のときから、プリスクールに入れることにした。日本でいくと幼稚園の年少さんクラスにあたる。子供が20名に対し先生は2名と、目も行き届くので一安心だと思っていた。しかし、朝、下の子を送っていっても、すぐに電話がかかることが日課になってしまった。電話の奥からは、「泣き止まないので迎えにきてください」との先生の声。一年たっても下の子は英語を話さず、ずっと教室で飼われているハムスターを眺めていた。
このとき、学年末に担任の先生から、名前を呼んでも反応すら見せない下の子は、自閉症か学習障害児ではないかと言われた。そして、早期発見と治療が必要なら今から行うべきだからと、障害があるかどうかを調べる団体を紹介された。

そういう経緯で、下の子は4歳11ヶ月のときにCHC(The Children's HealthCouncil)というところにテストを受けに行った。テストはもちろん有料だ。1000ドル以上かかると言われたが、保険でカバーされなくても私たち夫婦はテストを受けさせようと決めた。
このとき、英語の得意でない私のために、PHP(Parents Helping Parents)という障害を持った子供と親をサポートする団体にいる一枝さんという日本人の方が、資料をCHCへ出す段階から随分と動いてくださった。また、CHCで下の子がテストを受けるとき、日本語の通訳も引き受けてくださった。一枝さんのサポートのおかげで無事テストのメニューを消化することができ、その結果もまた聞きに行くことができたのだ。

この時期、夫はとても忙しかった。自宅に帰る時間は遅く、私は慣れない土地で母親として毎日孤軍奮闘していた。夫に頼れるという状況ではなかった。また、上の子が小学校に上がったことで、現地校と日本語補習校の両方の勉強をつきっきりで見てやらなければならない時期でもあった。下の子を放っておかなければならないことが何度あっただろうか。
私の神経も、相当疲れていたのだと思う。また、下の子に対して日本で暮らしていたならさせなくてもいい苦労をさせてしまったのだという負いの気持ちもあった。父や母から親切心で送られてくる育児書に書いてあることも、私自身が駄目な母親だと烙印を押されているようにしか受け取れず、辛くて数行しか目を通すことができなかった。
そんな状態でテストの結果を聞きに行った私は、不覚にも夫やドクターのいる前で涙を流してしまった。自分はここまで真剣に取り組んできたのに、全く事態は良くならないという気持ちが、母親としての自信を私から奪ってしまっていたのだ。

結局、下の子は自閉症でもなく学習障害児でもないと判断されたが、これだけ英語の習得が遅いのは社会性のなさが根底にあると指摘された。また、下の子は自分のしたいことだけに固執する傾向があるとも指摘された。いわゆる、インディゴ・チルドレンのような傾向があるというのだ。彼の先天性の性格もあるが、やはり、言葉が発達のネックになっているという結果に、どうしてよいものかと私たち夫婦は頭を抱えてしまった。

このテストを受ける半年前に、私は下の子に対して日本語でしか話さず、日本から送られてきたビデオだけを見せ、日本語の絵本だけを読むようにしていた。
それまでは英語を習得して欲しい一心で、「機関車トーマス」のビデオを一緒に見たりもした。しかし、下の子はボリュームをとことん絞ってビデオを見る。ボリュームを上げると怒るのだ。しばらく考えて、なぜボリュームを下げているのか理由がわかった。英語でのナレーションが聞き取れないレベルまで、音量を下げてビデオを見ていたのだ。これに気がついたとき、心臓が潰れるほど悲しかった。彼をここに連れてきたのは、私たち夫婦なのだ。なんとかしなければ、このままではいけない、その二つの気持ちが信号のように点滅しながら私の中でで交錯していた。
さて、英語の習得が遅いのになぜ日本語ばかりの生活に切り替えたのかと疑問に思われるかもしれない。
遅まきながら、母国語が発達しなければ、外国語は入ってこないということにやっと私自身、気が付いた。言語のベースがなければ考えることができない。考えることができなければ、表現することもできない。英語のビデオを見せていてはいつまで経っても下の子は日本語も英語も話さない。
言葉を獲得するために日本語だけに切り替えるのは、私の賭けでもあった。
下の子のクラスメートの母親からは、日本語だけにするのは間違っている、英語でのみ話し掛けるべきだと注意を受けたこともあった。それでも、私はこの小さな賭けに賭けてみたかったのだ。
そうやって日本語だけの生活をしたおかげで、テストを受けた直後から、ぽつりぽつりと日本語で話すようになった。しかし、やはり同じ年齢の子供と比べると日本語の発達も遅れていることは一目瞭然だった。

プリスクールで行われる先生との面談は、辛いものだった。
「どんな子でもアメリカに来て半年もすれば話し始めるし、「トイレに行きたい」ぐらい言えるのに彼は言わない。」
「体が小さいし、筋肉が発達していないから重いのものを持てなくて落としてしまう。」
「どんな子でも与えられた課題が嫌なものでもちゃんとやるのに、彼は全くやらない。気分がのらないと、教室の床に寝そべっている。」
そんな報告を受けるたびに、私たち夫婦は小さくなっていった。



{  つづきを読む }


Copyright (c) 1996 by Masayo Fukui
http://www.masayo.org/

リョーマガイド リンク 会員ホームページ
お申し込み
サポート

高知サイトへGO!
なんでも生活リンク集
検索エンジン
ダウンロード
法人会員ホームページ
SOHO会員ホームページ
個人会員ホームページ

 
Copyright (C) 2004 Fujitsu Shikoku Systems Limited. All Rights Reserved.