日本人というものは式が好きな民族だなと、アメリカに来てよく思う。入園式、小学校の入学式というものはアメリカのプリスクールや小学校にはない。卒業式も中学校までは、ほんの付け足し程度のものが行われるだけだ。もちろん、成人式もない。
アメリカで大々的に行われるのは高校の卒業式だ。この後、ほとんどの青年たちは一人暮らしを始める。仕事に就いた場合も、大学へ進学した場合も、ほとんどが親の家を出て独立する。たとえ仕事場やキャンパスが親の自宅から通える場所にあってもなのだ。
私のように結婚する20代後半まで一人暮らしをした経験がないとアメリカ人に話すと、「信じられない!!」という叫び声が返ってくる。
大学によっては一回生の間は大学の寮に入り、クラスメイトと部屋を共有しながら暮らさなければいけないと定めているところもあるぐらいだ。
私の友人で大学の規則に従い、寮で暮らしたことのある女性はこんなことを言っていた。
高校は同類がグループを作るところだ。そこで自分たちの民族やルーツを認識した。同じ人種で固まることも多かったし、グループ内のメンバーは同じブランドの服を選んで着ていた。
大学は、自分と異なった意見や文化をもつ人たちと、グループという囲いを壊して出会うところだった。彼女自身には、両方の環境が必要だったという。彼女は中国系アメリカ人だ。
アメリカの高校の卒業式は、日本の制服姿と違って、学校のカラーで統一されたマントと角帽といういでたちで、6月の青空のもと行われる。日も長くなり、涼やかな風が吹く心地よい季節だ。
そこで卒業生たちは式の最後に自分の少年少女時代にピリオドを打つように青空に向かって角帽を投げる。
それから長い夏休みの後、彼等は秋から一人の大人として、独り立ちしていくわけだ。
今の日本人の若い人たちは、日本の成人式というものに、どういう考えを持っているのだろう。
入学式や始業式、終業式、ありとあらゆるところで出てくる式で埋められた彼等の学校生活が、式を軽く見させているのだろうか。
式というものは、けじめを重んじる日本の美しい仕来りだと思うのだが。
成人とは、酒を飲めるだけのものなのだろうか。そのへんを、もう一度考えて欲しいと思う。
クラッカーを鳴らしたり、式をぶち壊すために大声で騒ぐのは、今まで行われてきた成人式には似つかわしくない。もちろん、グループでの雑談や携帯電話でのお喋りも、場を考えて控えるべきだろう。もしも本気で騒ぎたければ、若い人たちだけで盛り上がるパーティーを企画すればいい。面白いことをしたいと今まであるものを壊しても、何も得るものはないだろう。壊すことは簡単だ。確かにその場で、何かを壊した本人は面白いと感じるだろう。しかし、何も残しはしない。ただただ、同席した人たちに嫌な思いをさせるだけだ。
もう一度、「自分は何のために式に出るのか」を自分の心に聞いて欲しいと思う。
式に出る選択以外に、式に出ないという選択もあるはずだ。
私は成人式には出なかった。振袖を着て式に出るだけなら、私には意味がなかった。
その日、私は家族とともに一日を過ごした。家族という小さくはあるが人間関係の複雑な環境の中で、一人の大人として立ち振る舞っていこうと心に決めた日だった。
人それぞれにいろんな二十歳を迎えるだろう。
しかし、二十歳になったからといってすぐに何もかもが大人になるわけではないと思う。
大人とは自分の義務を果たしながらも、自分の望むことを周りと協調しながら行う人のことだと思う。
その第一日目が、成人式なのだと考えて欲しいと思うのは、やはり老婆心だろうか。 |