子供たちの現地校が終わり、長い夏休みがやってきた。私が子供のときには、夏休みに入るのが待ち遠しくて指折り数えたものだが、私の娘の反応はちょっと違った。
「あーあ、夏休みになっちゃった。早く学校が始まらないかな。」
娘の口からこういう言葉がでてくる背景には、大嫌いな日本語補習校に、夏休みが始まった2週目から毎日10日間通わなければならないということも含まれている。でも一番の要因は、学校が楽しいところだかららしい。
今、娘は7年生。8月末に始まる来学年からは8年生になる。日本でいうところの、現在中学1年生、新学年からは2年生といったところだ。
学校は月曜日から金曜日まで。一日に7時限ある。時間割は毎日同じだ。その中の5時限は必須科目で、英語、数学、社会、理科、体育となっている。後の2時間は選択科目となっている。
6年生のときには、選択科目は2つしかなかった。バンドつまり吹奏楽か、ウィールといって絵を描いたり劇を作ったり本を読んだりするものか、二者択一だった。
ところが7年生になると、その幅はずっと広まった。ソーイングやウッド、メタルといった手工芸をするものから、バンド、コーラスなど音楽関連、中国語やフランス語といった外国語、コンピュータ、ライティングなどさまざまな分野のものから、自分の好きなものを選択できるようになっている。娘は、コーラスとセラミック、陶芸を選択した。
まあ言えば、日本の放課後に行っているクラブ活動を正規の時間内に組み込んだともいえなくは無い。でも、しっかりと点数はつくし、態度が悪ければ「F」という評価をもらってしまう。これが多いと、留年することもあれば、学校から出かける遠足やキャンプといった楽しい行事に参加できなくなってしまう。
あと、アメリカらしいと感じるのは、手工芸関連のクラスで怪我をした場合、それは生徒の責任だ。3回怪我をすると、自動的にそのクラスから追い出されてしまう。自分が、電動ノコギリを使ったり、溶接の器具を使うことがわかっているのに怪我をするのは、自覚が足りないということなのだ。
でも、私が娘の学校を見ていていいなと感じるのは、「自分の好きなことを勉強できる」ことだ。
私が受けた日本の教育では、みんな、まんべんなく上手にできるのが良しとされてきた。そのおかげで、私の夫は、音楽の先生から、「君はリコーダーをかまえていても、吹かなくていい。歌っているように、口を開けてもいいが、声は出すな。」といわれた。私は、家庭科が大嫌いになり、縫い物も編物にも、大学生になるまでは拒否反応を起こしていた。
子供たちが毎日1時間ずつ授業を受けるということは、上達がとても早いように思う。娘の陶芸の作品も、数が増えるごとに素敵になっていっている。我が家のリビングには、娘の陶芸展示コーナーがあるぐらいだ。コーラスに関しても、始めは譜面も読めなかった子もいたらしいが、クラスが始まってから4ヵ月後のコンサートでは、驚くほど上手になっていた。娘たちは、クリスマスと春にコンサートを開き、またそれ以外にも、老人ホームや小学校に歌いにいった。老人ホームのお年よりの中には、娘たちが歌いに行く次の会場を聞き出して、ずっと自動車で追っかけまでしてくれたそうだ。
来年は、娘は上級クラスのコーラスを取る。コーラスやバンドなどは、上級のクラスに入るために、オーディションを設けていることが多い。このクラスに入れば、カリフォルニア州の大会に出場することができる。ここのところ、3年連続で娘の学校のコーラスは金メダルを取り続けている。会場はロスアンジェルスのディズニーランド。今年も金メダルを自分の学校に持って帰りたいと、やる気満々だ。
確かに、私の娘はボタン付けが上手にできない。それは、日本にある家庭科という授業がないからだ。それに、ソーイングも選択していない。でも、ハロウィーンに着ていくマントは、自分でミシンで縫った。日本の家庭科の先生が点数をつけたら、きっと「やり直し」の紙を張る出来栄えだろうが、そんなことはかまわないのではないか。「自分でマントを縫ったんだ」という自信さえあれば、娘はきっと、今度はもっと上手にミシンで縫い物をするに違いない。
「はやく学校が始まらないかなぁ。」そういう娘を、私は眩しく見つめている。
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