私の住んでいるところは、サンフランシスコの近く、シリコンヴァレイと呼ばれている地域だ。ヴァレイといっても、その谷の幅は広く、日本人の私からすれば、盆地といったほうがぴったりくる。サンフランシスコからすると、ここは田舎だ。一戸建ての家が立ち並び、オフィスも2階建てのビルが、大きな庭を抱えて建っている。そんな庭に、小鳥が巣をかけ、リスが走り回る。
そんな自然に恵まれている環境でも、一つ、日本とは全く違う悩みがある。それは、緑だ。
美しいのは春だ。雨季によって水を含んだ緩やかな丘陵は、まるで光沢のあるベルベットのような緑の草で覆われ、金平糖のような花が咲く。
ここでの雨の季節は11月から3月にかけてだ。その時期には、たっぷりと雨が降る。だからこそ、春の芽生えの時期には、瑞々しいぺリドットのような新芽がおずおずと顔を覗かせる。全てが緑で覆われて、とても美しい。
しかし、雨季以外の季節には、雨はめったに降らない。美しい光景も、雨が降らない日が続くと、確実に変化していく。
夏になると雨は一滴も降らず、美しかった丘は、みるみるうちに茶色の禿山へと変わっていく。夕立もない。空気は乾燥し、じりじりとした太陽は、土壌を煎り付けるように熱くする。
公園や家々の芝生や草木もそのままでは枯れてしまう。水撒きを忘れると、すぐに枯れてしまうのだ。道路脇の草むらなど、ドライフラワーになったまま、茶色くカサカサと揺れている。そんな光景は、私を悲しい気持ちにさせていく。
個人の庭も、公共の公園でも、植えた草花や木を枯らせないために、スプリンクラーを設置している。地中にパイプを設置して、タイマーで夜中に水を撒くようにしているのだ。
夏といえば、蒸し暑くむせ返るような緑の匂いがしていたように思う。木などは、夏が来る前に植えておけば、なんとか根づいていた。しかし、それは、日本の光景だ。
日本は、モンスーン気候だ。それに、日本の土壌は地球全体から見ても、新しいのだそうだ。そんなスポンジのような土地に、雨が降る。貯えられた水は、林や森を作っていく。
日本の山持ちさんの話では、人の手が入らなくても、日本の山は30年で元どおりになるという。なんという、恵まれた土地なのだろうか。
30年、木を植えず水もやらないでいたら、私の暮らしているこの土地はどうなってしまうだろうか。今でも、砂漠のような、乾いて炙られた熱い風が吹いているというのに。
ここでは、住宅を建てるときに、以前からあった古木を切り倒して造成するようなことはしない。私の住んでいる地域の住宅は、36年ぐらい前に建てられたものばかりだが、その庭には、樹齢200年は下らないような松などが植わっている。
日本なら、住宅地を作るのなら、そんな木など真っ先に切ってしまうだろう。
なぜ、木を切らないのか。
この地域で暮らしている人は、草木が根づき、林や森になることがどれだけ大変なことかを知っているからだろう。
日本人は自然を愛する人たちだと、アメリカ人は言う。
確かに、自分の作った箱庭の中の自然は大切にするだろう。
しかし、地球がくれたありのままの自然を愛するかというと、私の心の中には、「いいえ」という答えが浮かび上がってしまう。
日本は、雨と大地により、恵みを受けている国なのだ。そして、そこに住む人は、そのことにまだ気付いていないのかもしれない。 |