秋になると、時々恋しくなるものがある。母が土鍋で炊いてくれた茶粥や芋粥。子供のころはそういう食べ物に見向きもしなかったのだが、歳をとった証拠だろうか、食べたいときがあるのだ。
お粥を茶碗によそってもらうと、小さいころはお匙で食べた。まだスプーンなんていう洒落た言い方も使っていなかった。お粥は熱く、ふうふうと息を吹きかけてはお匙の端に唇をつけ、啜ったものだ。
このとき、日本人なら、啜るといえば音をたてるのは当たり前のことだろう。熱いうどんや蕎麦、ラーメン、煎茶やコーヒー、ココアや紅茶にいたるまで、啜るとは、「ずるずる」と音をたてて液体を口へと送り込み、その味を堪能する儀式の伴奏のようなものだ。
啜るを英語に翻訳すると、きっとsipになると思う。同じように液体を口へと送り込む仕草をさすのだが、このとき、音はない。スターバックスで淹れたてのコーヒーをすすっている人から、「ずずず」という音がしないのだ。こちらがそういう音をたてると、驚いたような顔で見られてしまうことがある。
食事のマナーの違いほど、生きていく上で困難なものはない。
アメリカ人の友達と町のカフェに行くようになってから、音をたてて飲み物を飲むことは意識的にしなくなった。また、よほど日本に行ったり暮らしたことのあるアメリカ人でないかぎり、「日本食やあっさりしたものを食べたい」とリクエストされても、ラーメン屋やヴェトナムのフォー屋には一緒に行かないことにしている。スープの入った丼からフォークで麺をすくいあげ、音をたてずに、まるでスパッゲティのごとくラーメンを食べている姿は、痛々しくもあり滑稽でもあり、楽しく食事をするどころではなくなってしまう。
また、アメリカ人の友人は友人で、大勢の東洋人がたてる「啜り」の協奏曲を聞くと、食欲などどこかへ吹き飛んでしまうらしい。そう、日本人だけでなく東洋の国から来た人は、麺類は大きな音をたてて、啜って食べるのだ。アメリカ人なら、子供のころからやってはいけないとされる"see food"を平気でやっている御仁もたくさんいる。「見る 食べ物」つまり、口を閉じずに咀嚼することだ。
マナーの違いがあるから楽しいのではあるが、会社や商売の関係の話し合いや会議を昼食をとりながら行うビジネスランチでは、音をたてて食事をする人は、それだけで商売のチャンスを逃してしまうこともあるらしい。
たまに外食をすると、夫から、「背をのばせ」「犬のように食べるな」と、注意される。家では大きな音をたて、丼に向かって背を丸めてラーメンを啜っているくせに、やはり私は外ではすました顔をして背筋をのばし音をたてないように食事をする。
家では啜り、外ではsip。使い分けるしかないようだ。
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